偏りがあった方がいい

偏りがあった方がいい

もともとのブログでもそうだったんだけど、これからはもっと、自分が好きなものを強くアピールした方がいいんだろうなって思ってる。

「これを書くと、こっち方面に角が立つからな」みたいなことを考えて、なるべくみんなに好かれるようにする。そういう人って、これからどんどん誰からも強く好きになられなくなっていくと思うんですよ。なんでかというと、正直じゃないから。

もっと言えば、こだわりがないやつって面白くないんですよ。俺はもう、どっからどう転んでも、こだわりしかない人間なんですよね。好きでもないものには全く興味を持てない。その代わり、好きなものに関してはずっと追求してしまう。やめられない。

30年、同じものを追求してる

例えば俺、もうすぐ50歳になるんだけど、20歳くらいの頃に聴いてたテクノを、いまだに聴いてるんですよ。ずっと。何が格好いいのかを、いまだに追求してる。

さすがにそこから30年も経つと、当時一緒にテクノを聴いてた人たちと喋っても、もうそんな話はしない。彼らはもうそういう趣味じゃなくなってたり、全然違うステージで生きてたりする。

でも俺は、昔から好きなものを「どこまで追求できるか」っていうことのために、自分のライフバランスというか、人生そのものを設計してきた節がある。だから、ずっと続いてるんですよね。

俺は「なぜ自分はこれが好きなんだろう?」と考えてきたというより、追求し続けることで、自分が何を好きなのかをどんどん明確にしてきたタイプなんだと思う。

もちろん、それはテクノだけじゃない。そこからいろんなものに広がってきた。でも結局のところ、「昔、俺もそれ聴いてたよ」っていう話じゃないんですよ。今でも聴いてる。今でも、なぜそれが格好いいのかを追求してる。そういうタイプのオタクなんですよね。

好きな理由が、嫌いな理由になる

で、ここが結構重要なんだけど。あるものをものすごく強く好きになると、それを好きな理由が、そのまま他のものを嫌いな理由にもなる。

だって、他と違うから好きなわけですよ。大体のやつが、「まあ、ここは普通こうなるよね」っていうところで、「こいつ、そこを全部裏切ってくるよね」っていう。その違いに気づくから好きになる。

「変態」という言葉

俺はそういう違いを出せる人間が昔から好きだった。特にテクノなんかでは、そういう人のことを昔からよく「変態」って呼んでた。でも俺は当時から、この「変態」って言葉にちょっと微妙なものを感じてた。

「こいつは変わったことをやってる」「一般には受けない」「でも一応、褒め言葉として“変態”って言っておいてやる」みたいな。ファンからも言われてたし、アーティスト同士でも「変態」みたいな言い方はされてた。

でも当の本人は、別に自分が変態だと思って作ってるわけじゃないんですよ。格好いいものを作ろうとしてる。その結果として、他との違いが出た。

そこを素直に、「これ、格好いいな」と受け取れずに、「変態」という言葉でちょっと遠くから眺めていた人たちは、30年経つとだいたいいなくなってる。少なくとも、その音楽を追い続けてはいない。逆に残ってるのは、その「違い」そのものに格好良さを感じてた人なんじゃないかと思う。

万人にとって70点のものではなく

結局、長く好きでいられるものって、万人にとって70点のものじゃないんですよ。ある人にとっては全然理解できないけど、別の人にとっては100点どころか、「これじゃなきゃダメなんだよ」っていうもの。

だから俺も、このブログではそっちでいいと思ってる。嫌いなものは嫌い。興味がないものは興味がない。その代わり、好きなものについては異常なくらい掘る。

全員に分かってもらう必要なんてない。むしろ、「なんでこれの良さが分からないんだよ」くらいの偏りがあった方がいい。

その偏りをずっと追求していった先に、その人にしかない美学みたいなものができる。俺がこのブログに残したいのも、たぶん情報そのものより、そういうものなんだと思う。